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つしまの魅力や思いをきいてみたVol.6(弥紀窯楽陶 小林さん)
最終更新日:2025年12月15日
弥紀窯楽陶 小林さん


小林さんは、2008年に三重県四日市市から転職を機に移住して以来、津島市を拠点に活動されている趣味の陶芸家です。雅号は「織田デステニー信長 楽陶」で、これまでに数々の展覧会で入選や個展の開催などの実績があります。近年では地域に由来した戦国武将の家紋をデザインした陶芸作品を制作し、市外、県外のイベント等で販売しています。2024年には津島市のイメージキャラクター「つし丸」のデザイン使用許可を取得し、陶器を通して津島市をPRしています。
陶芸家としての活動以外にも、津島市の歴史観光PRにも尽力いただいています。また、津島市宇治町にあったとされる「宇治城」の研究活動も行っており、宇治城跡の石碑・看板の設置に向けて調査を進めています。
自身の陶芸作品を活用して津島市の歴史・文化の魅力発信、観光振興に尽力している小林さんに、インタビューを行いました。
インタビュー内容
津島市は、一言でいうとどんなまちですか。
歴史や文化の活かし方を模索しているまち
津島市の魅力について教えてください。
歴史と風情のある街並みを散策することによって、それが現在まで継承されている貴重さを実感できます。そして、その道中の飲食店でくつろぐことのできる心地よさも醍醐味です。野良茶という津島独特の抹茶文化により、美味しい和菓子屋さんがあることも魅力です。
また、市役所や公園などの公共施設の駐車場がどこでも無料で利用できるという点で、津島市は暮らしやすいまちです。他の市町村では必要な用事を済ませるためだけでも、駐車場代などの費用がかかってしまうことが多いので、日常的な買い物や用事で気軽に利用できて助かっています。有料駐車場だと利用時間を気にしながら用事を済ませないといけないという問題もあるので、それがない津島市では心のゆとりを持って、ストレスのない生活を長年送ることができています。
その他にも、天王川公園トイレのリニューアルやライトアップなど、私自身も散歩中に良くなってほしいと感じていた課題が近年解消されているので、そこも津島市に好感が持てるポイントです。

小林さんは趣味の陶芸家として活動されていますが、これまでの活動の経歴を教えてください。
私は三重県の四日市市に生まれ、1999年、中学3年生の時に陶芸を始めました。高校では美術部、大学では陶芸部、茶道部に所属して活動していました。2002年と2005年に三重のやきもの展と四日市市美術展覧会で入選し、大学4年の2006年には四日市市立博物館市民ギャラリーにて初の個展『陶芸と雪駄の学生生活』を開催しました。卒業論文では『雪駄が日本文化に与えた影響』について書きましたが、その調査・研究のために津島に通ったのも運命的なご縁を感じました。
活動の転機としては、愛知県内の大学に通っていた頃、名古屋の百貨店で行われていたプロの陶芸家の作品の展示をたくさん見たことでした。このことがきっかけで、プロの陶芸家として作品を販売し続けて生活費を稼いだり、コンテストで大きな賞を狙ったりするよりも、趣味の陶芸家として作陶を楽しみながら、ご縁のあった方々に作品をプレゼントするという自分なりの生き方を選び歩むことにしました。
2024年には、津島市のイメージキャラクター「つし丸」と稲沢市のマスコットキャラクター「いなっピー」のデザイン使用許可を取得し、陶器を活用した歴史観光・地域貢献PR活動に取り組んでいます。
それに伴って、織田信長公が活躍した時期から織田長益公(有楽斎)が津島で過ごした時期に焦点をあて、歴史研究もしています。この地域は歴史観光、特に戦国時代の武将観光が好きな人にとっては、貴重な史跡や伝承の残る地域なのです。織田家ゆかりの地として私が紹介しているのは津島神社だけではなく、勝幡城(稲沢市、愛西市)や宇治城(津島市)、蟹江城(蟹江町)など西尾張地方の魅力的な歴史の残るまちです。趣味の陶芸家としてイベント出店する際にはその紹介もさせていただいています。
2008年に当市に転居したとのことですが、活動の拠点として津島市を選んだ理由を教えてください。
当時付き合っていた彼女(現在の妻)が津島市に住んでいたことが移り住んだ元々のきっかけですが、神社やお寺を散策するのが好きというのもあり、歴史ある神社やお寺が多い津島市に魅力を感じました。他にも、一人暮らしをしていた頃から家を建てるまでの約3年間住んだアパートが愛宕町にあり、大好きな温泉施設へ気軽に行けることでさらに愛着が高まりました。

ご自身の大切な作品の中に「つし丸」を使っている想い、「つし丸」のデザイン使用許可を取得した経緯を教えてください。
2023年に、私自身が大ファンであるアーティストの方が織田信長役で映画に出演することが決まり、そのことがきっかけで津島市と織田信長の関係性について探求するようになりました。陶器に津島ならではのデザインを表現するにあたり、織田信長が深く信仰した津島神社をモチーフにした「つし丸」を作品に使用したいと思い、津島商工会議所に申請をしました。初めて訪れた際、趣味で陶芸家をしているということで不審に思われないか不安でしたが、実際にお話しすると思っていたよりもスムーズに物事が進んだのを覚えています。突然の訪問にも関わらず親切丁寧にご対応していただいた方々には感謝しかありません。改めて感謝申し上げたいです。
また、普段平日は製造業の正社員として働いているのですが、職場の働き方改革や有給休暇を取得しやすくなったことによって、平日に官公庁を訪ねて相談や依頼をすることができるようになったのもありがたいきっかけでした。
津島市観光交流センターにおいても展示をされたことがあるとお聞きしました。
2024年10月から11月にブルネイの国際展示会に出品・寄贈する機会があり、その作品を海外へ送る前に「お別れ会」という意味も込めて、8月に観光交流センターにて200点以上の作品を展示しました。『陶歴25周年記念展示会』は約1週間の会期でしたが、自身初の津島市内での展示会ということで、職場の同僚や関係者、ご縁があり津島に引っ越してから出逢った方々にお披露目できる貴重な機会となりました。この展示会を開催するにあたって、津島市観光交流センターならではの展示スペースの利用法ができたのはありがたかったです。まきわら船を背景として撮影した作品は、我ながら素敵な想い出になりました。


市外、県外で開催されるイベントに出店し、津島市のPRを行っていただいているとのことですが、具体的にどのような活動をされていますか。
出店した先では陶器の販売を行いますが、作品のデザインに使用している織田家の家紋であり、津島神社の社紋である「木瓜紋」の説明を行ううえで、市が発行する観光パンフレットを活用しています。このパンフレットには織田信長などの戦国武将と津島のつながりについての説明が書かれており、いつも重宝しています。その他、観光スポットについて書かれたページも使って観光案内を行っています。
直近では、愛知県西尾市歴史公園での「にしお城まつり×西尾の抹茶の日」に出店し、津島と抹茶文化、そして織田信長や徳川家とのご縁などを紹介させていただきました。
歴史や戦国武将が好きな人にとって家紋はシンボルであり、食器として使えるのは嬉しいことだと喜んでいただけています。そして、その意味やご縁を知ることは付加価値の向上にもつながりました。
小林さんから見た津島市の知られざる魅力を教えてください。
津島市の知られざる魅力は「宇治城」の存在です。織田信長とのつながりと抹茶文化という2つの独立した魅力をつなぎ合わせる役割を果たしているという点で、宇治城は貴重な財産であると思います。
現在インターネット上の地図で「宇治城」と検索すると、スポットのアイコンしか出てこない状態のため、私としては宇治城の石碑や看板を設置するための情報収集を行っているところです。情報収集にあたっては津島市教育委員会の協力も得ながら、2025年度内の調査報告の完成を目指して進めています。宇治城は宇治抹茶で有名な京都の宇治ともつながりがあり、織田信長の13才年下の弟で、のちに茶人「有楽斎」として名を馳せる、織田長益公が城主であったとの記録が残っています。
織田長益公が勝幡城と宇治城の城主をした後、蟹江城に拠点を移したことによって、勝幡城と宇治城は廃城になります。それが確認できるのは1584年(天正12年)「小牧・長久手の戦い」に含まれる蟹江合戦時の周辺立地を記した「四戦場之屏風」です。津島市の歴史を紹介するためには周辺地域とのつながりを把握することが必要不可欠となってくるのです。
津島市のまちづくり構想において青塚駅が北の玄関とされているなかで、宇治町にあった宇治城は重要な観光資源になり得ると思います。愛西市の勝幡駅から稲沢市の勝幡城跡の石碑まで歩いて多くの方が訪れるように、歴史に関心のある方々は戦国武将にまつわる石碑があるだけでもわざわざ見に訪れます。この津島愛西のエリアには、そうした鉄道駅から散策することができる歴史的名所が数多くあるので、青塚駅から宇治城までのルートもその1つとして活用できたら良いと思います。




